K query

アァ余情。

コミュ障を科学する『コミュ障-動物性を失った人類-』正高信男

暑い日が続き、夜眠れなくなることから睡眠不足が生じたり、行動したいのに気温に水分と体力を奪われ、活動制限されたりと何かとイライラとしやすくなってしまう季節が今年もやってきました。(まさに猛暑真っ盛り)

 

f:id:zanto0908:20150727153121j:plain

そんな中、人間関係に関してもムッとしてしまうことはあるのではないでしょうか?

特に近頃はコミュ障と呼ばれる人、とのディスコミュニケーションにお悩みの方、また、コミュ障の自覚があり自身の不器用さに悩んでいる方もいらっしゃるかも知れません。

そんなコミュ障のイメージを変える、コミュ障について真剣に書かれた本がこちらの『コミュ障-動物性を失った人類-』正高信男著です。

 

 

 

内容

 本書は、はじめに、5章、あとがき、さくいんで構成されていています。

はじめに―コミュ障の人は誤解されている

第1章 悪意のない欺き 困ったちゃんとしてのコミュ障

第2章 注目がすべて マイペースでご都合主義

第3章 木を見て森を見ない パーツにこだわる世界認識

第4章 コミュ障とひきこもり 空間との絆の形成

第5章 コミュ障の人とひきこもりのこれから 日本社会の特異性

あとがき

さくいん

著者は京都大学霊長類研究所で人や霊長類について研究している教授で、専攻は心理学。

本書によると、

”コミュ障の人は、他人の気持ちを理解する能力に欠けているとか、コミュ障の人は社会性に乏しく、社会性は人間が営む上で、不可欠の資質であり、その資質が劣るのだから、彼ら彼女らは人間性について、そうでない人より欠ける点があるのではないかと、言われている、しかしそういう通説は、じつは誤解ですよというのが本書のメッセージの一つである。”

といったことが書かれている。

つまり、著者はコミュ障についてのステレオタイプな見方を科学的な研究によって覆すことを目的として本書を書いています。

”むしろコミュ障の人間こそが、他の動物より進化した人間として、もっとも人間的な存在であるかもしれない”

 

とても面白い試みです。

 

”歴史を振り返った時、人類は文明とか技術を発達させ、他の生物にはない卓越した人工的な生活を送れる今日の形にまでした。その推進力の役割を果たしたのはコミュ障の人であったのかもしれないのである。”

 

 

コミュ障の人は人工的な生活、つまり人々の暮らしを豊かにするために社会に貢献してきたのではないかといったことが書かれています。

さらに、

”それにもかかわらず昨今は、コミュ障の人が世の中のやっかい者のごとく、周囲から白眼視されているのは、たいへん不幸なことといわざるを得ない。さらに場合によってはその状況が、ひきこもる人を生む土壌と化している。”

”それは当人にとって不幸なだけではなく、社会全体が不利益を被っていることにもなる。”

”それはコミュ障の人がなまじ中途半端に周囲に「迎合」しようとするからである。”

”そしてIT化によって社会のコミュニケーションの偏重の程度に拍車がかかっているからだと、考えれる。”

 

 

と主張しています。

つまり、コミュ障とは現代の社会問題ではなく、時勢に沿って生まれた進化した新人類のような存在だというのです。

そして、人としての新たに能力を備えたコミュ障の人々を「近頃の若者は~」と、若者の文化を批判する高齢者のようなコミュ障ではない人々がコミュ障と呼ばれる人を全否定し、才能の芽を摘み取ってしまうということ自体が、深刻な社会問題だというのです。

 

本書で取り上げられているコミュ障の人とそうでない人を分けるキーワードとして、

皮質下回路(動物的回路)と皮質回路(人間的回路)があります。

人の脳の情報処理のうち、表層部分、つまり外側にある部位が皮質下色(人間的回路)と呼ばれる柔和な表情を表出するための笑いの感情など、動物の中でも霊長類が誕生し分岐したのちに進化した人間的な情報処理が行われている箇所です。

他方、奥にある処理系は皮質下回路(動物的回路)といわれ、獲物から身を守るために恐怖という感情を働かせるといった、動物が本来備えている動物的な情報処理が行われています。

 

コミュ障について調べるために筆者は大学院生と共にコミュ障と見なされた子どもとそうでない子どもを対象に、ある実験を行いました。

普通の顔をした人の顔マーク複数の中から、怒り顔をした人の顔マークがひとつだけ表示されるスクリーンをそれぞれの子どもに見せ、怒り顔を見つけさせるというものです。

その結果、コミュ障といわれている子はそうでない子に比べ、怒り顔を見つけるのが遅く、普通の顔と怒り顔を見分けるのに時間がかかってしまうというのです。

次に、

同じような実験を行い今度は複数の普通の顔の中で異なっている顔を怒り顔ではなく、笑い顔にしました。

すると、意外な結果が分かりました。

コミュ障とされる子とそうでない子の判別結果の大差がなくなったのです。

この実験から、コミュ障の子はそうでない子よりも危険を感じる脳の部位、つまり皮質下回路(動物的回路)働かないということが分かりました。

 

そして、皮質下色(人間的回路)によって行われる人間独自の脳処理について本書ではこう書かれている。

”社会的に注意を払われることに心地よさを感じる習性は、人間に生まれながらに備わった、いわば「業」のようなものと書くことも可能だろう。”

”それは善いとか悪いとかいう、価値判断を下す性質のものではない。”

 こういった性質は小さい子どもが新しい単語を口にしたときに「わぁ、〇〇ちゃん、もうそんなことばを言えるようになったのね!」といった、取り巻く周囲の大人たちが振り向いてくれること、感嘆として驚きのまなざしを投げかけてくれることが、最大最高の報酬として作用しているように、幼少期の頃から人の特徴としてみられる傾向だそうです。

そうした、人間本来の資質が社会的賞賛であるということの証明は、もはや大多数の日本人が周囲から注目されることの心地よさを嗜癖と化していることを顕著とするツイッタ―、フェイスブック、などのツールからも見て取れる。

ウェブ上で不特定多数の人から受ける「いいね!」、フォロワー数の増加、お気に入り登録、などの表示されなければ、今のようにこうしたメディアは普及しないと推測される。

再び、コミュ障の人が怒り顔への感受性の方が乏しいということに戻り、よく考えてみると、怒り顔を向けられるというのもある意味、注目されているという点では、柔和な表情を向けられることと同じこととなる。

結果として、何であれ周囲から注目されると、、その直前の行動が正の強化を受け、ますます、同じ行動をとってしまうのだと考えられる。

あげくの果てには、一時、バカッターと呼ばれ騒がれた、類の輩が現れるというのである。(本書ではこのような人々はコミュ障としている)

 

そんな中、アインシュタイン、レオナルド・ダヴィンチ、を例に、コミュ障と呼ばれる人の強みについても書かれている。彼らは自身の研究を探求するために何度も周囲から批判されつつも、自分を貫き通し知を追い続けるという「強さ」があったという。*1

ちなみに、彼らは純粋に真理を求めるために学び続けていたのに対して、現代では社会的賞賛を得るためだけにフォーカスした自己満足なタイプの科学者が増えているそうです。(さらにちなみに、オタクと呼ばれる人と研究者の違いは得た知識で自己満足して終えるか、社会貢献することに使うか、です。)

 

 

まとめと感想

本書では、

コミュ障と呼ばれる人がそうでない人との摩擦を起こし、軋轢を生んでしまう大本の原因は、皮質下回路(動物的回路)が十分に機能していないところにあり、それによって、犯した過ちに対して、本来は注意喚起、非難、警告、といった、罰を与えているという意思表示を報酬として受け取ってしまい、むしろ反応されたことに快感を覚えてしまうといった性質にあるということが分かった。(良くも悪くも楽観的になったといえるのかもしれない)

また、こうしたコミュ障と呼ばれる人が増えた背景として、生活が便利で豊かになり、狩りなどの危険な行動を行う必要がなくなり、人間が古くから備えていた本能的な情報処理機能が薄れてきたのではないかと述べれらている。

まるで、コミュ障は進化の代償のようなものではないかとさえ思えてしまう。

コミュ障と呼ばれる人は自身の特性を良い意味でポジティブに活用していくことが大切だと思います。

また、コミュ障、非コミュ障関係なく、世の中にはコミュニケーションが得意な人、(周囲の感情の変化についての感受性の鋭い人)情に流されず細部にこだわりじっくりと考えることができるがコミュニケーションが不得手な人など様々な人について受け入れ、自分とは違う他者を理解しようとする姿勢そのものが、全人類に共通するコミュニケーション力なのではないかと思います。

 

本書ではコミュ障、非コミュ障についての詳しい説明、また、コミュ障が原因でひきこもってしまう人の改善策(脱ひきこもり案)などについて書かれています。

コミュ障について理解することは、現代の普遍的な問題を理解することにつながります。そのような人が増えることによって、今がより生きやすい世の中になっていけば良いなと思います。

 

*1:私情を捨てる才能